不安な夜は

今回、中東で起きてしまった悲劇に対し、さまざまな意見が飛び交っていますね。どういう立場でものを考えるかによって、あるいは考えてきたかによって、個々の反応は違うでしょう。ボク個人で言うならば、東欧革命やカンボジアPKOの取材でむちゃをした日々があり、しかしそれによって伝えられたこと、分かち合えたこともあったと信じていますので、心情としては後藤さんの側にあります。
ただ、どんな感情でこの事件に接したかはともかく、多くの人がショックを受けたことは確かでしょう。後藤さんの表情がいつまでも残ってしまう人もいると思います。ニューヨークでトレードセンタービルが崩壊するところを目撃していたボクとギタリストは、何年もにわたってその後遺症に苛まれました。一日に何度もあの光景がよみがえってしまうのです。寝る前などは特に。精神科に行けば、きっとカルテになにか書かれたはずです。
おそらく今回の事件でも、そうした症状に苦しむ人はいると思うのです。
ボクは、そうした人に、わずかな闘いをすすめます。
それはもちろん、武力や暴力に打って出ることではありませんよ。自分と意見の違う人を批判することでもありません。
たとえば、今回の事件で世界がいやになってしまった。日本のなかだけで暮らしていこうと、どこかでこれからの日々に制限を課してしまった人はいませんか。最初から外国が嫌いだという人にはおすすめしませんが、こんなときは上質の紀行文を読む、という闘い方があります。
また、ボクなどは思うのですが、あの狂信的なテロリストたちのバックボーンはイスラム教ではなく、経済低成長時代に固定化してしまったとんでもない格差社会、その持たざる民の苦境にあるのではないか、と感じるのです。モンスターを生んでしまった要因のひとつがそこにあるなら、テロリストたち全員を殲滅しても、また次から次へと彼らは増殖していくでしょう。その関連で、ピケティさんの「21世紀の資本」に食らいついていくのもひとつの闘いです。
さて、上質の紀行文を一冊紹介します。
詩人、管啓次郎さんの「ハワイ、蘭嶼(らんゆう) 旅の手帳」(左右社)です。
北太平洋と台湾南部、その島々を詩人がゆっくりと歩きます。詩人は過去と現在を結ぶ線の上で、世界を構成するもののひとつひとつの変化に目をやり、また島民の言葉について深く思考しながら、スパム丼や牛テールを食べます。頭も胃袋も刺激される紀行文です。
土俵を丸く使えば無限の広さになると力士は言いますが、ボクはかねてから、島のなかにこそ大陸を感じることの不思議さについて考えていました。この紀行文はそれを解決するためのインスピレーションを与えてくれました。航空機が現れるつい百年前まで、大陸の旅の延長線上には海しかなかったのですね。だとすれば、旅人にとって、海は広がりいく大陸の一部でした。そして、その水大陸と水大陸のぶつかり合う場所に島があったのです。
ハワイの言葉の多様性について論じる管さんはいかにも愉快そうです。それは多様性、多文化を人類の本質として受け止め、是として楽しむ詩人の魂がそこに感じられるからです。
ハワイの花々や台湾のトビウオの干物。その匂いまで運んでくる鮮やかな写真も管さんの手によるものです。
眠れない夜、不安な夜に本に触れ、旅のイメージを持つこと。それは立派は闘いだと、ボクは思います。