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大人になるって

シグマベスト(高校学参)の『倫理』を読んでいたら、「大人になること」の定義として、エリクソンの言葉が紹介されていた。『大人である人間とは、自分自身を成長させていくことを怠らず、しかも愛ある献身によって、他人の成長を促してゆける人間である』と来たよ。やれやれ、ボクは永遠に大人になれないなあ。そもそもこうした言葉で高校生たちは納得するのだろうか。

今夜は寒いから、大人について、昔ちょっと書いたものを思い出したよ。駅弁食べて詩のようなものを書いていたころ。これは宮崎駅で食べた「椎茸めし」で綴ったものです。言葉で理想を書かれるより、ボクは断片を記す言葉の方を信じるなあ。

「椎茸めし」 (クリックしてね) 宮崎県・宮崎駅

中学の頃に父親を亡くした友達が
そう あれはコンクリートまで凍りそうな
真冬の夜の思い出だが
どんぶりに入れた日本酒をすすりながら
(そのとき、ぼくらはまだ高校生だった)
灯りの代わりのろうそくを見つめながら
(ぼくもまたなにかを探していた)
押し寄せる日々に感慨もなく
(すでに老成を垣間みる十七歳)
ふいにこんなことを言った

人はいつから大人になると思う?

ふやけた顔で てんで放棄した顔でぼくは
好き嫌いを言わなくなったとき と答えたものの
はて 自分にとってなにが好きで なにが嫌いなのか
どんぶりの酒も手伝ってか
はっきりとわからなくなってしまったものだから
子供の頃に苦手だったものをひとつずつ
それはたとえば 青い葱の白いところ
甘いだけの高野豆腐 主張の激しすぎる大蒜
などなどをつらつらと並べていったのだが

焼き網の上でじっとしていた椎茸の群れを思い出し
あれは苦手だった
父親は食べていたけれど
歯ざわりも味わいも私にはひどく慣れないもので
しかし最近は食べられるのさ
椎茸の味がわかってきたような気がする
そんなことを構えなく言ったのだった
(中央線を走る貨物列車の音が聞こえてきた)

友達はどんぶり酒をぐいっと飲み
そうか お前は椎茸嫌いだったのか
あははと急に笑いだし
それから窓の外を見つめ しんなりとなってしまった
(雪が降りだしたのだ)

親父が逝っちゃうときさ
酒も煙草もギャンブルもやらない親父だったけれど
親戚のおじさんがね
女遊びはやってたって教えてくれて
それは俺はちょっとだけ救われたような気がしたんだ
働くところしか見てなかったから
お腹に水がたまっているのに
俺が見舞いに行くと気丈にも起き上がって
(あの冬の夜から二十年)

宮崎で椎茸の弁当をいただき
とてもうまいものだと思った
椎茸はもう知っている椎茸の群れではなく
旅人に届けるまでの気遣いの重なりだと
それがあれば人は疲れながらも
少しずつ歩いていけるものだと
忘れられるものだと
いや この椎茸はおそらく格別なのだ
そうした実直な言葉の支えなどもはや必要がない
肉厚の立派な椎茸なのだ

あの夜
父親を思い出した友達はひとしきり泣いたあとで
好き嫌いがなくなったから大人だなんて
椎茸が食えるようになったから大人だなんて
お前は馬鹿だ あまちゃんだと言った
(午前二時の雪の沈黙)
大人になるのはね
大人になったことに気付くのはね
もう頼る人がいないことを知ったときだ
親父に会いたくても
その親父がいないことをつくづく知ったときだ

言葉と酒を飲みこんで
どんぶりを抱えたまま眠ってしまった真冬の夜

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駅弁ファナティック

「かにめし」と「海女弁当」も好きです。しょっぱくて甘い味。「まつりずし」は甘すぎてやがてしつこく苦い味。。

J'ai le coeur rempli d'émotion.

泣きそうです

雪の降る深夜
友達と語る大人に対する考え方や過去話
そして 大人になるとはもう他に頼る人のいない事を知った時

辞書の言葉よりよっぽどこのブログの方がいろいろ伝えてくれます


朝から今まで仕事してうまくいかなくて
疲れ果てて寄った不味い牛丼屋
何か腹に入れなきゃと頼んだ丼を
作業として口に運びつつ
耳障りな店内BGMに余計に疲弊して

そんな中で17歳の2人の物語

またドリアンさんに助けられました

No title

よい年齢になり、食べ物の好き嫌いもほとんどないけど、椎茸だけはいまだに苦手です。
小学生の娘に寄り添いながら、子どもの心を思い出し、色々教えてもらう日々です。
ドリアンさんは言葉の力でみんなを癒すことができる、子どもの心を忘れない立派な方です。

No title

ドリアン!あなたは俺を知ることになるだろう。俺の詩も読んでくれ!俺もカンヌの舞台を歩くと思う。

ぼくも……

理路整然とした言葉より
フラグメントを愛しています

そして、いままでも、これからも
完全なものよりも、不完全なもの、
強いものよりも弱いもの
どこか歪なもの
ときにどうしようもないもの、
みっともないもの、
それらに
強く惹かれ続けていくと思います

たびたびすみません

ロビンさん

朝から今まで仕事してうまくいかなくて
疲れ果てて寄った不味い牛丼屋
何か腹に入れなきゃと頼んだ丼を
作業として口に運びつつ
耳障りな店内BGMに余計に疲弊して


耳障りな店内のBGMに余計に疲弊して

……
このフレーズ、感覚、感受性に強く共感を覚えました

何でしょうね、こう言ってはなんですが、
メディアが発する言葉や映像や音声は、
ときに、ある種の暴力とさえ、感じられます

大袈裟ではなく、生きづらいな、息苦しいなと感じるときが
頻繁にあります

負け惜しみか屁理屈か
世の中の“正常”とされるものに、その空気に“異常”を感じたりもします

少し病んでるくらいの方が正常だろ!って((苦笑)


この場をお借りして……コメントお許しください

ロビンさんと海野さんへの返信

まあ、なにはともあれ、
おのれの信じた道を
(迷いながらでも)
歩いていくしかないよね。
そのときは牛丼もごちそうだよ。
プロフィール
作家・歌手・明治学院大学国際学部教授

ドリアン助川

Author:ドリアン助川
物語をつづり、詩をうたう道化師です。

近刊
「寂しさから290円儲ける方法」(産業編集センター)
(2023年5月23日刊行予定)
「動物哲学物語」(集英社)
(2023年10月26日刊行予定)
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