東北おんば訳 石川啄木のうた

やや長きキスを交して別れ来し
深夜の街の
遠き火事かな (啄木)
とっぐりど 唇(くぢびる)合ァせで別(わが)れで来たぁ
夜中の街(まぢ)の
遠い火事(かず)みでァだなぁ (おんば訳)
はたらけど
はたらけど猶わが生活楽にならざり
ぢつと手を見る (啄木)
稼せぇでも
稼せぇでも なんぼ稼せぇでも楽(らぐ)になんねァ
じィっと 手っこ見っぺ (おんば訳)
ある朝のかなしき夢のさめぎはに
鼻に入り来し
味噌を煮る香よ (啄木)
ある朝ま 嫌(や)んた夢見だ起ぎがげに
鼻さ入ァつた、
味噌汁(おづげ)のにおいっこ (おんば訳)
昨年いっしょに朗読会をやっていただいた詩人の新井高子さんが
『東北おんば訳 石川啄木のうた』(未来社)を編まれました。
新井さんは震災をきっかけに、詩にもなにかできないかと考え、
岩手県大船渡市の仮設住宅集会室や総合福祉センターを会場に
地元のみなさんと啄木訳のプロジェクトを立ち上げます。
そして計9回の催しを経て、啄木の歌百首のおんば訳を仕上げます。
大船渡で「おんば」と呼ばれる高齢の女性たちが、土地の言葉とリズムで表した啄木の世界。
思うにボクらは、この一人の魂でさえ、ミルフィーユのように無数に重なり合う幽かな意識の連合体です。文字を選び、並べ、表わすという行為は、そこにひとつの輪郭をこしらえる作業です。
くっきりとしている。鮮やかです。だから伝えることもできるのですが、文字は行間の海から飛び出した氷山のようなもので、書かれていない気配にこそ、秘められた息吹があるものです。
ハンセン病のことを勉強しても『あん』は書けませんでした。実際に元患者さんに会い、療養所に何度も足を運ぶことで、活字の背後に隠れていた気配がものを語り始めたのです。
同じことで、啄木の歌を知って、わかったような気分になっていた自分が、おんばたちの言葉とその肉感的なオノマトペに触れたことで、揺れ動く意識としての啄木、三陸の大津波の地へ旅をして涙を流した少年から始まる「果てなき彷徨」が、文字と文字の間の白い雲の間から湧いて出てくるのです。
啄木についての簡潔なエッセイも胸にしみます。穏やかなお正月にお似合いの一冊です。