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台湾版 多摩川物語

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台湾版『多摩川物語』、たった今受け取りました。
台湾のみなさん、ありがとうございます!
どんな人たちがこれを読んでくれるのだろう。
という思いもあり、明日から台湾に行ってきまーす!

新宿ブルースナイト

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近付いてきたので、もう一度だけ告知させて下さい。
新宿ブルースナイトに出ます。
宇崎竜童さんや中山ラビさん、根岸季衣さんら錚々たるメンバーですが、ボクはボクなりのブルースで時間に色を塗ろうと思います。

5月3日 新宿明治安田生命ホールです。
16時開演。ボクの出番は 17時半頃だと聞いています。

終演後はどこかの居酒屋で、
出演者全員を交えての大パーティーになるそうです。
チケットは新宿ゴールデン街「うとうと」まで。
090-2544-7301(10:00 ~ 17:00)
03- 5272 -6511(20:00 ~ 22:00)

ラガ!

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ボクは今、三宅島にねぐらがあり、毎月東京と島を往復しています。なぜ? とよく聞かれますが、火山のある島に住んでみたかった・・・わけではなく、火山のある島で試してみたいことがあったのです。

それは、火山灰土を好むイタリアのトマトの栽培です。前回の噴火で全島避難となった三宅島。灰で覆われた島の様子を新聞などで見るたびに、いつか挑戦してみたいとボクは思っていました。島の復興の一助になればいいという思いがひとつ。もうひとつは、みんなが群がらない場所にこそ宝が眠っているという考えからくる、ボク独自のロマンの追及です。

しかし、現実に毎月島に通うとなると出費もかさみます。このトマト大作戦を理解してくれる島の人に出会えるかどうかも一種の賭けです。幸運なことに、実験をして下さる農園と巡り合うことはできましたが、これから先、島のみなさんが「トマトを栽培して良かったよ」と言って下さるようになるには、相当の時間と努力が必要だと思います。敗北もあるかもしれません。


その背中を押してくれたのが『ラガ 見えない大陸への接近』(ル・クレジオ/管啓次郎訳 岩波書店)です。

「オセアニア、それは目に見えない大陸だ。」
「群島、火山、珊瑚礁のネットワーク=見えない大陸を幻視する、ノーベル賞作家の思索的紀行文。」
と、帯カバーの言葉からしてたいへん魅力的です。

これは重層的な本です。
ラガとは、西太平洋メラネシアのペンテコスト島(ヴァヌアツ共和国)のこと。カヌーを操り、この島に初めて上陸した人々に思いを馳せるところからル・クレジオの筆は始まります。そして、現在この島に住む人々の息吹を、温度の伝わる隣人の暮らしを描くかのように綴ります。そのまま読者に届けようとします。

そこから浮かび上がるのは、力によって島に住む人々の暮らしを破壊し、隷属させようとした(そして実際にした)ヨーロッパ列強の爪痕が残す苦みであり、それでも絶えることがないメラネシアの神話と自然への崇敬です。

島が点在する広大な海を、ひとつの大陸として認識し、生活してきた人々がいる。この視点を一時的でもボクやあなたが持てたのだとしたら、世界は一変します。行間や余白から、文字にはならなかった文字たちが立ち上がり、縦にも横にも広がって「固定されてしまった見え方」の上に、まさに多層的な人間の在り方、世界の見え方を透明に提示してくれるのです。

つまり、本そのものも冒険をしています。頁を繰るたびに、読者もまたその冒険を追体験し、1人ずつが未知の大陸をすべっていくカヌーの上から世界の再構築を始めるのです。

ボク個人の例で言うならば、
「三宅島でトマト」というアイデアに対し、賛成してくれた人はほとんどいませんでした。でも、ル・クレジオのように、かつて人類が有した視線、あるいはまったく新たな感覚をもってひとつの火山島を見つめ直したとき、そこにあるのは希望だと思ったのです。

つまらない日々があるとすれば、それはきっと自分がつまらなくしているのですね。面白い日々があるとすれば、それもきっと自分が面白くしているのです。そこに必要なのは、誰かに強制されたわけではない、みずみずしい視線です。

裏カバーの言葉
『砂漠の遊牧民に対するのとおなじく、近代国家は海の人々を国境の格子の中に閉じこめようとした。かれらの冒険心により、すぐれたバランス感覚により、瞬間ごとに、これらの人々はその格子から逃れていく』

ラガ! 三宅島!

なぜ働くのか?

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友人が翻訳した本を紹介させて下さい。
『なぜ働くのか』(朝日出版社)
(バリー・シュワルツ著・田内万里夫訳)

なぜ働くのか。
労働はもちろん生活の礎でありますが、
「いかに生きるのか」という、
ボクらの命の表現であり、味わいとなるところの礎でもあります。

同じ仕事をしていても、それぞれの幸福度は違うものです。
仕事を受け身で耐える人と、
積極的にアイデアを加え、喜びに変えていく人。
その違いはどこにあるのか。

著者のバリー・シュワルツは米国の大学教授で専門は心理学です。
彼は、人生をデザインする心を持てるかどうかが、
労働感に大きな差を生み出すと言います。
まずわかりやすい部分で、「お金のため」という認識をすっ飛ばした場合、その労働には従事する意味があるのかどうか?

ブルース・スプリングスティーンの言葉が引用されています。
『音楽が自分を生かしてくれているんだと、俺にはわかっている。それが俺の命なんだ。たとえばテレビや車、家なんかのためにそれをあきらめるのは、アメリカン・ドリームじゃない。そんなものは残念賞だよ、結局。テレビなんかは残念賞なんだ。もしそんなものに目がくらんだら。もし、それを手に入れたとして、それで上がりだと信じてしまえば、それはだまされているってことだ。だってそんなものはただの残念賞で、用心深い人間でない限り、自分自身を売り渡すか、最高の自分をみすみす手放すことでしかないからね。だから慎重にならなきゃだめだ。最初に抱いたアイデアを守り続けなきゃだめだ。そして、より高い舞台に向かえるように望まなきゃだめなんだ』

誰もがこんな言葉のようには生きられないけれど、たとえば工場のオンラインで働いていても、その仕事に自分なりの表現を盛り込めるかどうか、良い日々にできるかどうかはやはり自分次第だと思います。そのようなことを、このバリーさんは書いています。万里夫くんは訳しています。

ボクは放送作家の駆け出しだった頃、ヒットチャート番組でアシスタントをしていて、オンエアするアーティストのPVをレコード会社まで借りに行く係でもありました。誰も優しくしてくれないし、雨の日なんかは泣きたくなる仕事でした。でも、ある日から花を買うことににしました。自腹で一番安い花を買います。そして、PVを貸してくれる担当者にそっと渡しました。それだけでなんだか楽しくなったのです。各レコード会社のそばにどんな花屋があるのか、そんなことを知るのも東京を学ぶ上で参考になりました。

「叫ぶ詩人の会」というバンドでデビューしたとき、キティというレコード会社のディレクターが会いに来てくれました。
「君は工夫があったよね。この人はいずれ何かやると思っていたら、まさかデビューするとはね。花を持ってくる人なんかいなかったから、ずっと覚えていたよ。おめでとう。新しい人生が始まるね」
 そう言って祝福してくれました。現実には新たな苦労の日々が始まっただけだったのですが、それでも本当に嬉しかったです。バリーさんと万里夫くんがこの本で書いているのは、おそらくそういうことです。

リサとガスパールが!

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とうとう、リサとガスパールまでどら焼きをつくり始めました。

フランスで『あん』がペーパーバックに!

ついに「あん」が文庫本(ペーパーバック)としても
フランスで発売されます。

http://www.livredepoche.com/les-delices-de-tokyo-durian-sukegawa-9782253070870

新しい読者が増えますように!「あん」ペーパーバック

フランスで2冊目の小説が刊行されます。

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来月、フランスでの2冊目の小説が刊行されます。
『リョウスケの夢』というタイトルですね。

出版社は『Les délices de Tokyo』(『あん』)に続き、Albin Michel(アルバン・ミシェル)です。

この作品のオリジナルは2014年に刊行した『ピンザの島』(ポプラ社)です。
自殺未遂の経験すらある迷える青年涼介が、絶海の孤島でチーズつくりに取り組みながら、
むきだしの命の強さを徐々に取り戻していくという話です。

といっても、それほど簡単なストーリーではありませんが。
もし良かったら、現在はポプラ文庫から出ていますので、読まれてみて下さい。
すくなくとも、チーズとは何か、ということについては学べます(涙)。

このフランス版、表紙のイラストは『あん』と同じく木内達朗さん。
そして翻訳者も『あん』と変わらず、Myriam Dartois-Akoさんです。

共謀罪について

組織犯罪処罰改正案、いわゆる「テロ等準備罪」、すなわち「共謀罪」について、みなさんはどう思われますか。

欧米でここまでテロが勃発するようになったのだから、オリンピックを控えた日本は対策に本腰を入れなければいけない、というのが改正案を審議する動機になっているようですが・・・

反体制的な謀議をはかる、あるいはそれを思考した記録を残しただけで罪に問われるというこの法律は、たいへんあぶなっかしい、『星の王子さま』でいうなら、やがては惑星を粉々にしてしまうバオバブの木のたとえのような危険性をはらんでいます。

もちろんたいていの人なら、そこにどんな理由があろうとテロを許しはしません。それは通常の感覚で、取り締まれるものは取り締まっていただきたい。日本の公安は実によくやっています。ボクらのバンドがかつて、長崎の本島市長と同じ壇上で歌ったというだけで楽器車のなかまで寄ってたかって写真を撮りにきましたから。そのセンス、バツグンです。

しかし、今回のすなわち「共謀罪」は、その範疇を離れ、大きく逸脱する可能性を持っています。単純な話、ボクが反権力、反体制的な物語を書き、それが政府にとって「けしからん」となれば、連行されることもあり得るのです。

官房長官は、「普通の人には関係がない」とおっしゃいましたが、文章を書いている以上、監視対象下に置かれる可能性はあるのです。ばしばし写真も撮られていますし。

「共謀罪」は、国有地が次々とただ同然、あるいは極めて廉価な値段で特別な人々へ譲渡される事件での共謀については振り向けられることがないでしょう。しかし、それについてボクらのようなものたちが文字を起こそうとしたとき、立ちはだかる可能性がある法律なのです。国民すべてに向けられた法律ではなく、権力者側から国民に向けられた法律。

小林多喜二は「蟹工船」を書いたから検挙されたのではなく、特高警察による拷問の事実を書いたからこそ虐殺されました。法の名のもとに。道徳の教科書で郷土愛が足りないとして「パン屋」が認められずに「和菓子屋」になったり、殺傷技術を競う「銃剣道」が突然中学体育の選択科目になったり、驚くことが次々起きている今、「普通の人には関係がない」という言葉を信じることができないのです。

ボクの友人には与党野党いろいろいますし、がちがちの保守もいます。それぞれの意見があるところでしょう。ただ、率直にボクは思います。みながそれぞれ監視し合い、真綿で首をしめていくような時代が近付いているのではないか。それはボクらが望んだ日本なのだろうか。この法律については、撤回していただきたいと思います。

トランプのミサイル攻撃について思うこと

もはや、シリアでは第三次世界大戦が始まっていて
犠牲者にとってはこれが最終戦争でもある。

ここまで混迷してくると、理屈や理想ではなく、
力を持ったものが次の秩序をつくるために、
より破壊的な行為が繰り返されるだろう。

反体制派皆殺しのアサドを擁護するわけにはいかず、
かといって、トランプがふたを開けてしまった荒涼たる戦闘の世界を認めるわけにもいかない。
結局のところ、ボクたちは美しいままでは、生きていけない。

どちらも支持しません、と言うのは容易いが、
では、お前ならどうするのだ? という問いかけに対し、
遠いところで愛の歌を歌うのも、大して潔いとは思えないからだ。

ただ、これだけは言える。
戦争をするなら、神を利用するな。

トランプは、神の名のもとにシリアへの攻撃を決定した。
アサドもきっと、神に命乞いをしながら虐殺を繰り返している。

たしかに、ボクらは、ボクらの想像を超える大いなる力によってこの世に誕生した。
ときにその大いなる力に対し、「神」の言葉を使う人たちがいる。
それならそれで良いが、少なくともその神は、一国を守ることで他の国をおとしめたり、権力者の地位を守るために宮殿に鎮座するような神ではない。

なぜならそうした神は、すべて人間の利己心から来る想像上の産物であるからだ。悪魔もまたそうだ。
ボクらの心のなかにその種の神と悪魔はある。
殺し合いをして地獄を生み出すのも、多様性を美と認識してみなで力を合わせて生きていこうとするのも、人間の心しだい。人間のなすところだ。

アサドは、アサドの心によって虐殺を行っている。
トランプは、トランプの心によって戦争のふたを開けた。
そこに神はいない。

そして、これはかなり先の話になるかもしれないが、
この人間ゆえの醜い歴史に終止符を打つ時代が来るとしたら、
それも神ではなく、人間の心と、人間の努力によるものなのだと思う。

真白(ましろ)の恋

4月3日(月)夜、映画『真白の恋』主演の佐藤みゆきさんと上映後のトークショーをやります。
渋谷アップリンクにて、午後8時の回の上映後です。

軽度の知的障碍がある女性の初恋を描いた『真白の恋』。1986年生まれの坂本欣弘監督と、知的障碍者の弟さんがいらっしゃる脚本家、北川亜矢子さんのタッグによって生まれた透明感あふれる作品です。

舞台は富山県射水(いみず)市。かつてボクは原発事故後の各地の線量を測るために奥の細道のルートを自転車で旅したことがあるのですが、高山へ抜ける際この射水市に入り、「こんなベニスのような街が日本にもあったのか! ここには絶対もう一回来たい!」と強く思った、運河と暮らしが隣接する独特の風景がある場所です。射水市への再訪はまだできていないのですが、この映画『真白の恋』によってもう一度あの風景に出会うことができました。しかもとびきり魅力的な真白ちゃん付きで。

最近ちょいと心が疲れぎみかも、という方。ぜひいらして下さい。

もちろん「ky」は、一般向けにもライブをやってくれます。

カノン_convert_20170401214852

三宅島での「ky」のライブ、一般向け会場が決まりました。
みなさん、この機会に三宅島にいらっしゃいませんか。
4月25日(火)午後7時半より、写真のカフェ「Canon(カノン)」にて開催です。
(そして翌日「ky」は三宅中学校でもライブをしてくれます。ついでに給食もいただきます)

キューバからアフリカまで、民族、宗教、あらゆる状況を乗り越えて音楽行脚を続ける「ky」の二人、アルトサックスの仲野麻紀さんとウードギターのヤン・ピタールさん。三宅島の大人たちに向けてもライブをしてくれます。そして本土から三宅島に来てくれるあなたのためにも! ちなみにこの日はボクもスタッフをやります。

会場の「Canon」は、画家穴原甲一郎さんのお宅です。壁にかかっている絵・・・そう、絵なんです。写真のように見えますが、細密画です。最初拝見したときはとにかく驚きました。三宅島の自然を描いたこれらの絵に囲まれ、潮騒も聞こえてくる空間。ここで「ky」の二人がどんな演奏をしてくれるのか、とてもとても楽しみです。ちなみに今日のランチタイムも仲野麻紀さん演奏のジムノペディが流れていました。

三宅島での「ky」のライブに参加されたいという方。ぜひ、「Canon」に連絡をとられてみて下さい。民宿も紹介してくれるはずです。
「Canon」三宅島三宅村伊豆36
電話 04994-2-1239 (遅い時間は避けてね)
mail canon.miyake@gmail.com
HP http://natu07miyake.blog28.fc2.com/

「Canon」は穴原画伯のお嬢さんたちによって運営されています。ランチも手作りケーキもむちゃくちゃうまいです。また、息子さんが三宅島の自然ガイドをなさっていますので、昼間は彼の案内で天然記念物アカコッコの声を聞きにいかれてはいかがでしょう。

ちなみに、三宅島へは竹芝桟橋(浜松町)より東海汽船の「橘丸」にて6時間半。(毎日就航)
あるいは調布飛行場より新中央航空にて35分。(毎日3往復)

「ky in Miyake Island」
4月25日(火) 三宅島「Canon」にて。
午後7時開場 入場料1500円。
待ってますよー!

三宅島に「ky」の二人がやってくる!

三宅中学校_convert_20170401214828

三宅島の中学校にフランスから「ky」の二人が来てくれます。

三宅中学校は全部で29人しかいません。そしてその全員がブラスバンド部なのです。この子たちを前に、アフリカからキューバまで演奏で革命を起こし続ける「ky」の二人がどんな時空間を作ってくれるのか、もの凄く楽しみです。

ちなみに今日、中学校に行ったら「ky」の二人の写真が貼ってありました。ブルターニュから三宅島まで、「ky」、ありがとう!
プロフィール
作家・歌手・明治学院大学国際学部教授

ドリアン助川

Author:ドリアン助川
物語をつづり、詩をうたう道化師です。

近刊
「寂しさから290円儲ける方法」(産業編集センター)
(2023年5月23日刊行予定)
「動物哲学物語」(集英社)
(2023年10月26日刊行予定)
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