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バカボンのパパと読む老子2冊あらたに誕生!

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お金儲けも立身出世もいっさい関係ない2冊の本の紹介です。
『バカボンのパパと読む老子』『バカボンのパパと読む老子・実践編』
本日2冊とも角川文庫からの発売となりました。

ニーチェのように虚無を越えるわけではなく、
宇宙との関係性のなかで「超人」となっていった老子。
その視座や心のありようを、
バカボンのパパ語訳で紹介しています。

実践編は老子にまつわるボクの講演録が以前は収められていましたが、
全編内容を吟味し直し、すべてバカボンのパパ語に書き改めました。

老子の説くところのなにもかもが現代の我々に響くわけではないと思います。
けれども、二千年以上の歳月を隔てても変わらない
「人間と宇宙(tao)の関係」がここには展開されています。

存在はすべて関係性のなかにある。
単独で存在し得るものはない。
この真理はいささか教訓的であると同時に、
つながるものすべてを自身との関係のなかで存在化させる
雄大な視野を与えてくれます。

六畳一間でカップ酒を飲んでいても、
銀河が欲した自己を感じることができる。
やがて禅の高みへと昇っていく老子の思想を
あなたのポケットにどうぞ!

かにめし

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ボクは幼い頃、貧しい環境にありました。
父が学生だったので仕方ない。
母は懸命に働いていたし。

小さいボクを祖母が手をつないでくれて、
東北や北海道の親戚のおうちを転々としました。

「かにめし」の詩は、
祖母が北海道でボクに与えてくれた原初の味わいから成るものです。
それがね、長万部(おしゃまんべ)町の最後の観光ポスターになったのです。

普通、観光ポスターって、写真メインですよね。
でも、長万部が黒松内に併合される時、
選んで下さったのはボクの詩だったのです。

今日、北海道の大好きな人から、「まだ貼られていますよ」って、
写真が届きました。
実は、貼られているこのポスターを観るのは、これが初めてのことなのです。
16年かかって初めて観た。

もし良かったら、「かにめし」の詩、
まさに16年ぶりに再現しましたので一読下さい。
ありがとう、長万部のみなさん。
そして今、懸命に人生と闘っている北海道の先輩。

「かにめし」

その風景はあまりに断片的で
古ぼけた写真のように輪郭が欠けている
誕生とつながる海の色
(つまりは無と有の狭間)
鉛筆がぼやけた燦々
(記憶に現われる光)

それでも確かな構図は
砂利を敷き詰めたプラットフォームの向こう側に
その緩やかな球体<海>があり
さらに大きな 豊かな曲線<空>と接していたことだ

ひとつの駅の幻
春であったのか 夏であったのか 秋であったのか
海の向こうにはおぼろげな影があった
魔神 それとも

停車中の列車の窓から
今はもう つたない影に戻ってしまった祖母が
行商のおじさんから弁当を買ってくれた
ぎっしりとカニの身がつまった弁当で
(私はそれをしっかり覚えている)
(こまやかなカニの身)
(飯を覆うほどの)

これ 食べてもいいの
全部食べていいんだよ
おいしいな おばあちゃん
そうかい よかった よかった
カニは大好物だよ
よかったねえ

祖母はまったく箸をつけず
カニの盛られた飯に集中する私を 黙って見つめていた
私たちは 東京から丸一日列車に揺られ
その幻の駅に着いたのだった
だか飯を頬張ろうとも
私の耳は求めていた

遠くに来てしまったねえ
ほんとだねえ 遠くに来てしまったねえ
ずいぶんと遠くだ
ほんとうに遠くだねえ
ここはなんという駅

私の耳の記憶はそこから写真の外に出てしまった
あれから三十年以上の歳月が過ぎ
様々な喜びと悲しみがあり
(祖母との別れも)

今一人の旅人となってこの国を歩き
視界の臨界を越えたり
言葉にはならない小さな祈りを拾い集めたりして
私は米の飯を食べている
それは記憶の底に眠ったままに
かつての幻の駅を探すためだった

おばあちゃん
ここだったんだね
長万部(おしゃまんべ)の駅
あの時の海が目の前にある
空を支えている

私はこの駅を探していました
なぜなら
それは私ももっとも古い記憶
私という心の誕生の印
私の心が生を受けた初めての光
海の向こうのおぼろげな影は
いつかはそこに戻るであろう私を 黙って見つめている

魔神ではなかったのだ
過ぎ行くだけの日々
私は愛された

重版出来!

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みなさんのおかげでドリアン訳『星の王子さま』(皓星社)、
発売から十日で重版出来となりました。
しかも、ほぼ初版部数に等しい大増刷です。
ありがとうございます!
サンテックスの手紙の訳などもあとがきに加えています。
この機会にぜひ触れてみて下さい。

三宅島の(時々)住人になりました。

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12月12日の記録です。
本日より、三宅島の(時々)住人になりました。
これからは、東京と島を往復する生活になります。
ボクの住まいから最初のなんでも屋さんまで約3キロ。
信号も自販機もなし。洗濯バサミだの割り箸だの買うのが、すでにスポーツの領域です。
さあ、どうなる!

なぜ三宅島で暮らすことになったのか。
それはおいおいお話ししていきます。

大人になるって

シグマベスト(高校学参)の『倫理』を読んでいたら、「大人になること」の定義として、エリクソンの言葉が紹介されていた。『大人である人間とは、自分自身を成長させていくことを怠らず、しかも愛ある献身によって、他人の成長を促してゆける人間である』と来たよ。やれやれ、ボクは永遠に大人になれないなあ。そもそもこうした言葉で高校生たちは納得するのだろうか。

今夜は寒いから、大人について、昔ちょっと書いたものを思い出したよ。駅弁食べて詩のようなものを書いていたころ。これは宮崎駅で食べた「椎茸めし」で綴ったものです。言葉で理想を書かれるより、ボクは断片を記す言葉の方を信じるなあ。

「椎茸めし」 (クリックしてね) 宮崎県・宮崎駅

中学の頃に父親を亡くした友達が
そう あれはコンクリートまで凍りそうな
真冬の夜の思い出だが
どんぶりに入れた日本酒をすすりながら
(そのとき、ぼくらはまだ高校生だった)
灯りの代わりのろうそくを見つめながら
(ぼくもまたなにかを探していた)
押し寄せる日々に感慨もなく
(すでに老成を垣間みる十七歳)
ふいにこんなことを言った

人はいつから大人になると思う?

ふやけた顔で てんで放棄した顔でぼくは
好き嫌いを言わなくなったとき と答えたものの
はて 自分にとってなにが好きで なにが嫌いなのか
どんぶりの酒も手伝ってか
はっきりとわからなくなってしまったものだから
子供の頃に苦手だったものをひとつずつ
それはたとえば 青い葱の白いところ
甘いだけの高野豆腐 主張の激しすぎる大蒜
などなどをつらつらと並べていったのだが

焼き網の上でじっとしていた椎茸の群れを思い出し
あれは苦手だった
父親は食べていたけれど
歯ざわりも味わいも私にはひどく慣れないもので
しかし最近は食べられるのさ
椎茸の味がわかってきたような気がする
そんなことを構えなく言ったのだった
(中央線を走る貨物列車の音が聞こえてきた)

友達はどんぶり酒をぐいっと飲み
そうか お前は椎茸嫌いだったのか
あははと急に笑いだし
それから窓の外を見つめ しんなりとなってしまった
(雪が降りだしたのだ)

親父が逝っちゃうときさ
酒も煙草もギャンブルもやらない親父だったけれど
親戚のおじさんがね
女遊びはやってたって教えてくれて
それは俺はちょっとだけ救われたような気がしたんだ
働くところしか見てなかったから
お腹に水がたまっているのに
俺が見舞いに行くと気丈にも起き上がって
(あの冬の夜から二十年)

宮崎で椎茸の弁当をいただき
とてもうまいものだと思った
椎茸はもう知っている椎茸の群れではなく
旅人に届けるまでの気遣いの重なりだと
それがあれば人は疲れながらも
少しずつ歩いていけるものだと
忘れられるものだと
いや この椎茸はおそらく格別なのだ
そうした実直な言葉の支えなどもはや必要がない
肉厚の立派な椎茸なのだ

あの夜
父親を思い出した友達はひとしきり泣いたあとで
好き嫌いがなくなったから大人だなんて
椎茸が食えるようになったから大人だなんて
お前は馬鹿だ あまちゃんだと言った
(午前二時の雪の沈黙)
大人になるのはね
大人になったことに気付くのはね
もう頼る人がいないことを知ったときだ
親父に会いたくても
その親父がいないことをつくづく知ったときだ

言葉と酒を飲みこんで
どんぶりを抱えたまま眠ってしまった真冬の夜

花丼のカラー写真や「くしのはな」のこと

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今発売中の食べ物漫画誌『めしざんまい』(ぶんか社)で、
ボクの考案した「花丼」と、
それを食べられる東京・つつじヶ丘のビストロ「くしのはな」の特集記事が掲載されています。

「くしのはな」は今年開店10周年。
アトリエのそばとあって、横山シェフは苦楽をともにしてきた仲間です。
そのあたりのことも、編集部の方がおもしろおかしく書いて下さいました。

もし良かったら、『めしざんまい』の頁をめくってみて下さい。
コンビニなどに置かれているご飯専門誌です。

「花丼」は、『多摩川物語』(ポプラ文庫)に出てくる丼飯ですね。NHKのラジオドラマでも何度か登場しています。

「花丼」の作り方は簡単ですよ。
1、食用の菊花を用意し、顎から花びらをちぎる。
2、花びらをさっと茹でて、冷水にさらす。
3、温かいご飯にしらすをたっぷり載せる。
4、その上に、水気をとった花びらをたっぷり載せる。
5、あとはポン酢をどっと振りかける。生姜を載せてもよし。
6、興奮を抑えつつ食べる。

詳しくは、『なやむ前のどんぶり君 世界は最初から君に与えられている』(ちくまプリマー新書)をご覧下さい。どんぶりを作るだけで人生乗り越えられる仕組みになっています。


ドリアつくりました。

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本日発売の「dancyu1月号」でドリアをつくっています。
教えていただいたのは、
洋食の老舗、入谷の「レストラン香美屋」さんです。
このお店では、ドリアではなく
「海老入り米飯グラタン」と呼びます。

つくったあとは、もちろんいただきました。
まさに幸福を感じる逸品。
うまかったなあ。
プロフィール
作家・歌手・明治学院大学国際学部教授

ドリアン助川

Author:ドリアン助川
物語をつづり、詩をうたう道化師です。

近刊
「寂しさから290円儲ける方法」(産業編集センター)
(2023年5月23日刊行予定)
「動物哲学物語」(集英社)
(2023年10月26日刊行予定)
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