過ぎし日を振り返りつつ(3)

「黒く鳴く」
ホテルの前の街灯は 村じゃ一番の明かりもち
空が紫に沈む頃 虹はここから伸びていく
そのかすかな色彩のカーブに乗って
ひしめき合って飛んでくる コオロギ
触覚の先に魂をぶらさげた
草原の 地雷原の 星の際までの コオロギ
ブオーンと響く翅の音 ゴーンと響く寺の音
兵隊さんのジープも 国連のトラックも
ひび割れたプールも 無数のコオロギに覆われている
黒くうごめいて 黒く鳴いて
いかしたスープで膨らんで
小競り合いはいつものことさ 夜の数だけいがみ合う
バケツに水を入れて 手当たり次第 コオロギをつかんでは放り込む
争う必要はないほどたくさんいるのに 蹴られたり 肘鉄をかまされたり
コオロギと同じ姿勢で 地を這いながら
ボクら
バケツで溺れるコオロギは もはや鳴くこともできず
黒くもがいて 黒く絶命して 黒く堆積する
あとは油で揚げるだけ 塩とトウガラシであっさりと
あるいはナンプラーにつけてもいい
あつあつのコオロギに齧り付いて
コオロギだけでお腹を膨らませて
ボクはランプの灯りを吹き消す
闇に戻れば お腹の中で
コオロギはまた黒く鳴き始める
いつかきっと母さんは帰ってくる
ボクは一匹のコオロギになり 母さんを捜しに、ホテルの灯りへと飛んでいく
追い掛けてくるのは誰?
ボクのことはつかまえないで
ボクが黒く鳴いているのは
母さんに気付いてもらうためなんだから
ブオーンと響く翅の音 もう鳴らない寺の音