塔和子さんと吉永小百合さん

 練馬文化センターで催された「風の舞」の上映会に行って参りました。
 この作品は、ハンセン病快復者の詩人、故・塔和子さんの人生と創造を巡るドキュメンタリーで、劇中での塔さんの詩は、吉永小百合さんが朗読されています。今回はなんと、その吉永小百合さんが舞台上に登場され、生で朗読をされるとあって、チケットは完売、ホールは満員となりました。

 塔和子さんの詩。
 御本人も、「苦しみ」「つらさ」という言葉を厭わなく記す人生がそこにはあります。しかし、そこに留まらず、万人を照らす輝きとなる力が塔さんの詩にはあります。むろん、ハンセン病の元患者としての日々を切り離せるわけではありませんが、人間としての普遍的な高みに作品が達しているため、逆を言えば、根源の孤独にまで魂を浸しつつ、それでも立ち上がろうとする志を持たれているため、どんな立場の人にも、どの国のどんな人にも届くニュアンスがあるように感じられるのです。

 そして、吉永小百合さん。
 ご存知の通り、吉永さんは原爆の詩に始まり、ハンセン病関連の詩作の朗読、そして現在では福島原発の被害にあい故郷に帰れなくなった人々の言葉を朗読し、ある意味では国家を向こうに回され、旺盛な活動をされています。場合によってはこうした一連の活動に対し、抵抗を覚える人もいるでしょう。

 でも、違うんだなあ。吉永さんは本当に堂々とされていて、あらゆる機微が原野から立ちのぼっていることを知りながら、すべて全身で受け止め、それを声に出されているような・・・つまり、正真正銘のいたわりを持った、肝のすわった朗読者でありました。

 吉永さんに花束をあげる係となった少し障碍のあるお子さんが、どうすればいいのかわからなくなって、舞台の上でちょっと立ち止まってしまった時があったのです。すると、吉永さんは微笑みながらその子の手をくるみ抱くようにして、ともに去っていかれました。正直なことをいうと、ちょいと頰を伝わるものがありました。

 ああ、このシーンは覚えていよう。ずっと覚えていよう。
 ありがたく、ありがたく、とにかく焼酎のお湯割りをいただき、夜を完結させたいと思ったのです。
 焼酎ではなく、日本酒をいただいたので、調布に戻ってからもう一度やり直しましたが。

 とにかく、素敵な夜でした。


 

 

ひとつの勉強法

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 今日、フランス語検定2級の合格証書が届きました。まだまだこれから先が大変ですが、ここまでどうやって勉強してきたのか、同好の士のために、種明かしをします。

 仕事があるボクたちは学生さんたちと違って
とても忙しいですよね。(夜、飲んじゃうし)
一日のうち、勉強にさける時間は知れています。

 そこで考えだしたのが、
一度に全部やってしまおうという勉強法です。
好きなテキストを自分で読んで録音して、
それを聞きながら書きとっていくというやり方です。
ただこの方法あるのみ。
強引ですが、総合的な力が培えると思います。

 ファーブルが昆虫記第一巻を世に出せたのは56歳。
来週から取材に向かう大壁画家は70歳からのスタートです。
ボクが文章で刺激を受けている作家、石牟礼道子さんは88歳です。

 まだまだボクたち、やれると思いますよ。
年齢のせいにする前に、まず工夫。
時間がない分だけ覚悟が決まるし。以前は英語版から訳してアルルカンの演目としていたのですが、今年からは原語からのアルチュール・ランボーの翻訳も始めました! お楽しみに!

フランス語検定5連勝!

 今日はフランス語検定の2次試験(面接)の結果がネット上で発表される日。
 2級の2次、合格していました!
 49歳でABCから・・・本当に初めてフランス語に触れ、
 途中、奥の細道を自転車で探訪しているときは完全に離れていましたので、
 約3年くらいでしょうか、ちびちび勉強してきたことになります。

 でも、なんとか、
 5級、4級、3級、準2級、2級とすべて一発できました。
 これで、5連勝です。

 ここから先はいよいよ1級の世界とあって、
 これまでと同じくらい時間がかかるか、
 あるいは到達し得ないのかもしれませんが、
 歳をとってから語学をやるのは無理だ、とか
 もう頭がついていかない、とか、
 そういう悲観的なことはないのではないかな、と思います。

 ただ、ボクはある特別な方法、
 とてもシンプルな方法で勉強をしています。
 それが効を奏しているのかもしれません。

 それは・・・いつかお話ししますね。



 

 

カツ丼いただきました。

 ニッポン放送のお昼のワイド『大谷ノブ彦のキキマス』に、
 今日はゲストとして呼んでもらいました。

 午後1時から3時過ぎまで、とびとびではありますが、
 これまでの20年を振り返るような話、
 そしてこれからの話をさせてもらいました。

 大谷さんが、
 待ってましたとばかり受け止めて下さったことで、
 とても和やか、
 それでいて密度の濃い時間になったような気がします。

 おまけに、ラジオショッピング用のカツ丼が
 ボクにまで用意されているご配慮。
 ありがたや!

 ちょいと空腹で、
 お腹がぐーっとなる音をマイクが拾わなければいいな
 と思っていた矢先でしたので、
 丼がいつもにも増して輝いて見えました。

 

お取り寄せ可能!

 昨日紹介させていただいた福井県の和菓子屋さん、「伊勢屋」さんの「桜のどら焼き」ですが、なんと、お取り寄せ可能だそうです。お店(0770-52-0766)に電話していただければいいとのこと。商品は着払いにて発送可能ですよと、担当の上田浩人さん。(水曜定休)

 ボクもぜひぜひこれは味わってみたいと思っています。

桜のどら焼き

福井・伊勢屋

 福井県小浜市の老舗の和菓子屋さん、「伊勢屋」さんからこんな写真を送っていただきました。
 小説「あん」を読んで下さり、物語通りの「桜のどら焼き」を作られたそうです。
 ネーミングは今、御主人が考え中。
 どんな名前のどら焼きになるのかな。

 福井にお住まいの方、お近くにお寄りの際はぜひぜひご賞味あれ!

樹木希林さんの声

映画『あん』のオフィシャルページで、
わずかな尺ですが、主人公の徳江さんを演じる希林さんの姿が見られます。
こんな徳江さんがいてくれるどら焼き屋さんなら、
毎日でも通ってしまうかも。

映画「あん」オフィシャルページ

オフィシャルページ内のカメラのマークをクリックすると、
映像が流れ始めます。

小学校の同級生と徳之島料理

上坂くんと

 昨日は小学校(兵庫県芦屋市立岩園小学校)の同級生である上坂くんと、
 新宿の徳之島料理屋さん「たかぐら」で宴となりました。

 純度百%の黒糖をかじりながらの黒糖焼酎。
 いやー、うまかったなあ。

 ところで、上坂くんは独身(結婚歴なし)です。
 自分の友達を誉めるのはなんですが、優しくて、誠実で、責任感のある男です。
 (大阪でのライブはいつもプロジェクターを操作してくれます)
 勤め先は絶対につぶれないところです。
 彼自身、これからの恋愛もいいよね、とつぶやいていましたので、
 関西方面に友達が欲しいかも、という女性の方、メールを下さい。
 上坂くんを交えての神戸、大阪、京都。
 凄く楽しいと思います。


 

暖房こわれる!

 本日、アトリエ(事務所)のエアコンがこわれました。
 ボクも半分こわれかけですが、
 2006年から頑張ってくれたエアコンさんもまた半分その機能を失ったようです。

 なぜ半分なのか?
 冷房のみ、作動するからです。
 
 というわけで、本日はもう寒くて凍えちゃって震え上がっちゃって、
 仕事も遊戯もできません。
 どこかで熱燗ひっかけて帰ります。

 明日は昼間外出しているので、修理のお兄さんを呼べません。
 夜、ハリポタの朗読で集まる皆さん、
 外気温と変わりませんので、スキー場に行くような格好でいらして下さい。
 熱燗は用意しておきます。

絶版が復刊に!

オバケの英語(新装版)カバー

 2004年に出させてもらった英語学習本「オバケの英語」(宝島社)がいつの間にか絶版になっていました。ボクは英語の専門家ではないので、まあ、いいかな、と思っていたのですが、最近出版される英語本に「この本から刺激を受けた」と書かれたものが幾点かあったようで(たとえば「社会人英語部の衝撃」)、中古本市場で「オバケの英語」は一冊3万円まで値が上がっていました。

 昨年あたりから、「なんとかして欲しい」「どうすれば入手できるのですか」といったメッセージがボクのところにも寄せられるようになりました。宝島社の担当にそれをそのまま伝えたところ、あろうことか、新装版として復活しました。問い合わせていらしたみなさん、お待たせしました!

 ニューヨークでバンドを結成し、ヴォーカルだったボクは発音でとても苦労しました。いまだ流暢に喋れるわけではありませんが、発音記号のひとつひとつを徹底的に洗い、語学学校の先生と組んで「口内の気流」に注目したのがこの頃の成果です。したがって本書は「発音記号が示す口内の気流を具体的に体感すること」がテーマになっています。

 悪のりととられても仕方ありませんが、ゴマやちくわを使って、無声音と有声音の気流の違い、LとRではなく、RとWを関連付ける工夫などを記しました。こうした点に加え、ボクはこの本のなかに、ニューヨークのテロを体験した者としての未来への願いをある方法で綴じ入れましたので、賛否はいろいろあるようです。高い評価を下さる方からボロクソにけなす人まで本当に多種多様。事実、新装版の「オバケの英語」でのアマゾン・レビュー第一号はボロボロのレロレロです。

 ボクたちはネイティブではありませんので、自然な英語を話す、というのは至難の技です。ほとんど無理です。しかし、たとえば「heart」「hard」「heard」の日本語ならすべて「アー」と延ばされてしまう部分を明確に区別できるようになるだけで、英語は伝わりやすくなるものですし、聞き取りの力も増すとボクは信じています。

 読解力はあるのだけれど、会話になると単純な言葉の発音でいつもつまずいているという方、突っ込みどころ満載の本ではありますが、せっかく復活してオバケが世に戻ってきましたので、可愛がってやって下さいな。例文はボクの先生だったクレイグ・ステファン。ブルックリン在住のおじさんです。

不安な夜は

ハワイ・ランユウ・カバー_convert_20150202201159

 今回、中東で起きてしまった悲劇に対し、さまざまな意見が飛び交っていますね。どういう立場でものを考えるかによって、あるいは考えてきたかによって、個々の反応は違うでしょう。ボク個人で言うならば、東欧革命やカンボジアPKOの取材でむちゃをした日々があり、しかしそれによって伝えられたこと、分かち合えたこともあったと信じていますので、心情としては後藤さんの側にあります。

 ただ、どんな感情でこの事件に接したかはともかく、多くの人がショックを受けたことは確かでしょう。後藤さんの表情がいつまでも残ってしまう人もいると思います。ニューヨークでトレードセンタービルが崩壊するところを目撃していたボクとギタリストは、何年もにわたってその後遺症に苛まれました。一日に何度もあの光景がよみがえってしまうのです。寝る前などは特に。精神科に行けば、きっとカルテになにか書かれたはずです。
 おそらく今回の事件でも、そうした症状に苦しむ人はいると思うのです。

 ボクは、そうした人に、わずかな闘いをすすめます。

 それはもちろん、武力や暴力に打って出ることではありませんよ。自分と意見の違う人を批判することでもありません。
 たとえば、今回の事件で世界がいやになってしまった。日本のなかだけで暮らしていこうと、どこかでこれからの日々に制限を課してしまった人はいませんか。最初から外国が嫌いだという人にはおすすめしませんが、こんなときは上質の紀行文を読む、という闘い方があります。

 また、ボクなどは思うのですが、あの狂信的なテロリストたちのバックボーンはイスラム教ではなく、経済低成長時代に固定化してしまったとんでもない格差社会、その持たざる民の苦境にあるのではないか、と感じるのです。モンスターを生んでしまった要因のひとつがそこにあるなら、テロリストたち全員を殲滅しても、また次から次へと彼らは増殖していくでしょう。その関連で、ピケティさんの「21世紀の資本」に食らいついていくのもひとつの闘いです。
 
 さて、上質の紀行文を一冊紹介します。
 詩人、管啓次郎さんの「ハワイ、蘭嶼(らんゆう) 旅の手帳」(左右社)です。
 北太平洋と台湾南部、その島々を詩人がゆっくりと歩きます。詩人は過去と現在を結ぶ線の上で、世界を構成するもののひとつひとつの変化に目をやり、また島民の言葉について深く思考しながら、スパム丼や牛テールを食べます。頭も胃袋も刺激される紀行文です。

 土俵を丸く使えば無限の広さになると力士は言いますが、ボクはかねてから、島のなかにこそ大陸を感じることの不思議さについて考えていました。この紀行文はそれを解決するためのインスピレーションを与えてくれました。航空機が現れるつい百年前まで、大陸の旅の延長線上には海しかなかったのですね。だとすれば、旅人にとって、海は広がりいく大陸の一部でした。そして、その水大陸と水大陸のぶつかり合う場所に島があったのです。

 ハワイの言葉の多様性について論じる管さんはいかにも愉快そうです。それは多様性、多文化を人類の本質として受け止め、是として楽しむ詩人の魂がそこに感じられるからです。
 ハワイの花々や台湾のトビウオの干物。その匂いまで運んでくる鮮やかな写真も管さんの手によるものです。

 眠れない夜、不安な夜に本に触れ、旅のイメージを持つこと。それは立派は闘いだと、ボクは思います。

なんとも暗い如月の始まりだが・・・

 戦争と平和は対立的に在るものだとボクらは教えられてきた。事実、太平洋戦争終結のあと、ボクらの国は親欧米国家としてこの70年を歩んできた。戦いあったのは大変に不幸なことだが、それを繰り返さないよう、今度は手を握りましょう。という姿勢を(表向きだとしても)、人間本来の性質に一致したものだと捉えてきた。

 だが、問題はそうシンプルなものではない、ということをボクはニューヨーク在住時に知った。2001年9月11日のテロ以前に、北アフリカからやってきた留学生がこう囁いたのだ。
「アメリカは今油断している。そろそろ広島と長崎の恨みを晴らすときがきたのではないか?」

 彼の論理では、相手の民族に大打撃を与えることができるなら、仮に百年後に恨みを果たしたとしてもそれは「正しい行為」となるのだそうだ。むしろその「正しい行為」の機会を待つことが民族的、宗教的な使命なのだと彼は語った。ボクらの感覚ではあり得ないことだが、十字軍の時代、レコンキスタの時代からの積年の恨みがそうした人々にとっての存在の意味となり得るなら、100年にも満たないボクらの人生はあまりに無力ではないか。従来の「戦争と平和」の構図ではなく、人類の内部崩壊に直結するシリアスな問題を、ボクら自身が宿痾として抱えている。

 亡くなられたジャーナリストの母親、奥さん、お子さんの気持ちを思うといたたまれない。また同時に、何万ものモンスターを育ててしまった人類の歴史というものに対し、自分は残りの時間のなかでなにができるのだろう、という焦燥があることも内なる手触りとして確認できる。

 ボクは治安や統率のための力を要求する人間ではなく、創作の力を信じる人間だ。それは何気ない蔓草が花を咲かすに等しく、恨みや権力のぶつかり合いではない場所から生じる、本来の、自然の力でもある。ボクはそれを信じたい。


 

 
プロフィール

ドリアン助川

Author:ドリアン助川
物語をつづり、詩をうたう道化師です。

ライブ・公演情報
11月4日(土)5日(日)
「星の王子様と道化師の惑星」
Eggman Tokyo East
YEN TOWN FOOLsとの合同公演です。
近刊
「星の王子さま」(皓星社)
「バカボンのパパと読む老子」(角川文庫)
「バカボンのパパと読む老子 実践編」(角川文庫)
「海の子」(ポプラ文庫)
「ピンザの島」(ポプラ文庫)
「坂道 〜Les Pentes〜」(ポニーキャニオン)
「あなたという国 ニューヨーク・サン・ソウル」(新潮社)
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